2021/07/09
久々にブログを開いたら下書きのままにしてる記事があった。下書きのままだから内容のまとまりはあまり無いが、だいぶ良いことが書いてあったので投稿することにする。漫画の彩との枷も外れたことだし。
以下、記事。
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う〜ん、考えがまとまらないから一旦置く。
言いたいこと
・研究者、VRエンジニアになりたいけどなれていない現実
・本当に研究者、VRエンジニアという枠組みに収まることが幸せなのか?
・自分駆動開発と言いますか、学問自分と言いますか、何かになりたいためにこういうことをするぞというモチベーションを持つのではなくて、「自分がこうしたい、これを実現したい」というモチベーションを主軸にして動くのが良いのではないか?
例えば何かになりたい場合、以下のような不安疑問が生じる。
「自分主軸にして動くのは良いけど、将来的に研究者/VRエンジニア/xxxxエンジニアになるにはこれが足りてないから、もっとこういうことをした方が良いんじゃないか?」
私が言いたいのは、このような不安疑問に駆られるかもしれないが、そんなものは気にせずに自分がしたいことをして、自分の技術パラメータを好きに成長させれば良いのではないかということだ。その結果として、また別の何かに収まるのではないか(もちろん、これは良い何かである)。
そして最終的に「ああ、自分がしたかったもの、してきたものはこういうものだったんだ、こういうテーマだったんだ」ってのが、人生を通じて分かれば良いのかな、っていう気がする。
もちろん何者かになりたいという気持ちやそれを目指すということは大事であるが、それに囚われすぎるのも考えものだということ、かな。
目標として何になりたい、ではなく、どうありたい、ってものを持ってモチベーションを高めるのが良いのかもしれない。
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私は欲深い人間なので、いろんな者になりたいって気持ちがあるんですね。
漫画家になりたいとか、スマブラめちゃくちゃ上手くなりたいとか、科学研究者になりたいとか、VRのつよつよエンジニアになりたいとか、色々ありましたよ。いや、この先将来のことは誰も分からない訳だから、どれかに将来なれたりしてるかもしれないけど。ただ今回はそういう何かになりたいって話じゃなくて、何かになる必要なんて無いんじゃない?っていう話。いや、もちろんなれるに越したことはないんだけどね?(永遠ループ)
今日こんなツイートをしました。
何が言いたいかっていうと、私がなりたいものになれていないという現実が、私がこうしたい、ああしたいという欲求を実現するのに邪魔をしている気がするという話です。研究者にもなれてない、つよつよエンジニアにもなれてない、スマブラもたいして上手くない、そう言った自己実現が叶えられていない現状が自分にある種のコンプレックスを与えてるんですよね。
枠組み(特に組織の枠組み)って概念が、私が何者でもないことにコンプレックスを持たせている気がしていてですね。ただ、私が特別な何かであるかどうかは重要じゃないんですよね、多分。大事なのは私が何であるかじゃなくて、どうあるかなんだなと、少し考えを巡らせて、一先ず行き着いたわけです。
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