2020/08/01 現象学的還元

これは単なる日記だからテーマとかいらないはずなのだけど、せっかく読んでもらうならということで読みやすいように章のようにして小題をつけることにする。

はじめに

久々に人工知能のための哲学塾を読み返している。読み返していると言っても、私はこの本を最後まで読んだわけでもなければ、なんなら2章の途中までしか読めていない。それでも面白い本だからと、内容がうろ覚えの1章を読み返した。

第1章はフッサールの現象学について書かれているのだが、そこで紹介されることについて腑に落ちたのでここにメモすることにする。先に一つ注意をすると、附に落ちただけであり、私がこの本を読んで解釈しただけであるので、その内容が誤っているかも知れないことはご承知おき願いたい。さらに欲を言えば、訂正してほしい。腑に落ちた内容はエポケー(判断中止)、括弧に入れられた世界、現象学的還元についてだ。

現象学とは

前提知識として。そもそも現象学が何かというと、哲学の分野の一つで、一言で言えば「論理的に考えるっていうのもあるけど、そうじゃなくて経験によって世界、ものごとを考えて行こうぜ」って分野のことである。

こういう考えが学問的にできると何が良いかと言うと、人の内面についても語ることができるようになるということである。哲学史的な話をすると、現象学が生まれるまでの哲学の世界ではデカルトのガッチガチの論理思考が幅を利かせていたのだが、論理で人の内面なんて図れないわけであり、そういう点で現象学は画期的な学問であったのだ(決してデカルト的な思考が誤っているというわけではなく、これはこれで産業面で大きな貢献をしているので、分野が違うというだけ)。

で、その現象学を考えるにあたり、エポケー、括弧に入れられた世界、現象学的還元という概念が不可欠なのである。

腑に落ちたこと

・エポケー
ある対象に対しての諸々(通常パッと見える背景とか関係性とか前提条件とか先入観とか固定観念とか)を一旦まっさらにすること。

・括弧に入れられた世界
エポケーによってまっさらになった上で、自分がいて、対象がいるな〜っていう状態のこと。

・現象学的還元
括弧に入れられた世界に突入すること。立ち還ると言った方がしっくりすると思っている。

もうちょい分かりやすく

一言でまとめてしまったが、これだと「ああ、そうなんだ?」で終わってしまうのでもう少し詳しく書く。

まずはエポケーについて。まずはというか、もうエポケーだけ説明すればいいんじゃ無いかって思う。エポケーするって言い方になるのかわからないけど、思考を停止することをエポケーという。
わかりやすく具体例で書く。

例えばあなたがあるニュースをSNSで見たとする。そのニュースというのは、ある人が世間一般で悪いとされることをしたというニュースだ。その人はSNSでめちゃくちゃ叩かれている。自分の友達もめちゃくちゃ批判している。

じゃあ自分がこのニュースについて考えようとなったときに、そういう世間の意見とか友達の話とかを全部なしにしましょう、とするがエポケーだ。そうすることで、周りの意見などの諸々が無くなり、自分とそのニュースだけがその場に残ることになる。この、自分と対象だけになった状態のことを括弧に入れられた世界と呼んでいる。んで最後に、この「自分と対象だけの状態に持っていこう」ってのが現象学的還元だ。現象学的還元をして初めて現象学としてお話ができる。…きっとそうなんだと思う。

要はこれができると、先入観などなどに囚われずに自分が対象に対してどう思うか、どう感じるかを語れるようになる。例えばある対象について誤った認識が含まれていた場合も、それをなしにして、今自分がそれに対して考えていたり思っていたりすることだけを前提に話すので、物事を主観的にきちんと捉えて話すことこができるようになる。これは本質的な話ができるようになる事に繋がるはずだ。

と思っている。

終わりに

今私が述べた内容はかなり現実的な事象について寄った考え方だが、本来はもっと哲学に寄った考え(意識とか感情とか時間とか)を題材にして話す内容なんだと思う。でも、考え方のニュアンスとしては多分こんな感じなんだろうと思うから、今回はこれでよしとする。

もっと哲学的な観点で腑に落とせると良いなと思いながら、また読み進めることにする。

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