羨ましいこととどうだってこと 2022/12/06

私の人生は本当に無駄が多いなという思いと、一方でこの無駄と思える時間がなきゃ今の私は確実に形成されていないなという思いがある。

だから結論から言うと無駄では無いんだけど。何が言いたかったかな。具体的に私が度々に思うことを書く。

私が「良いな、こうしたいな」と思う時、私は先ずそれができる環境とか界隈に入っていくことから始める。入ってみると、もちろん私と同じような考えを持っている人がいっぱいいる。それはすごく嬉しいことなんだけど、一方で、その同じ考えをしている人たちが皆んな私より歳下で、羨ましいなって思う。「ああ、自分もこの人と同じくらいの時に、もっと早く気づけてたら、動けてたらなあ」と、ついつい思ってしまう。そういう悔やまれるような思いみたいなのがたびたび生まれるってこと。

じゃあどうすれば良いのかは知っているつもりで。今したいと思うことを精一杯するしかない。気持ちとしては分かってるし、実際にそうしてるつもりだけど、私よりも何年も早くその環境に入ることができた、その思考にいたることができた人たちを見ると、やっぱり羨ましいなと思っちゃう。

でもやっぱり無駄ではない。今までの、無駄と思ってしまうような時があるくらいの時間を過ごしてきたから今の自分が形成されていて(私は割と自分のことが好きな方だ)、今の考えとか趣向をもたらしてくれて(かなり満足している)、みんなと出会えている(本当に私の周りの人は良い人ばっかりで私はとても恵まれているし幸せだ)。これは、上記の早い年齢でたどり着いていることよりももっと素晴らしいことだ思う。だからまあどっこいどっこいってところだろうと思う。

…なんか、無駄とかいう言葉使ってすみませんでした。そっちの方が申し訳なくなってきた。もちろんみんなと過ごしている時間のことを指しているわけじゃ無いんだけど。なんか無駄とかいう言葉を使っちゃったこと自体の後悔が大きくなっちゃって。元々無駄な訳はないという前提で書いてはいたのだけど、そういう印象が先走っちゃうような言葉を使っちゃったのがもうなんだかなっていう…。

まあつまりなんだ。今言いたいことは、無駄なことはないし、みんなといられて私は嬉しいよってことです。以上。ではでは。

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